こんにちはJONです。
今日は大切な人との関係についてお話します。
大切な家族や親・友人との関係があまりよくない状態になってしまい、
いっそのこと【いなくなってしまえばいいのに】
なんて思ったりしてしまっているあなた!
人は、いつも当たり前にいてくれる人に対しては、なぜか軽視してしまうところがあったりします。
あまりにも当たり前すぎて、普段はその大切さに気づかず通り過ぎてしまうんです。
ほんとさみしい限りです。
でも、無情にもある日突然それに気づかされる時がやってくるんです。
それはどんなときかというと、その大切な人を失った時です。
その時、はじめて存在の大きさに気づかされると思います。
その時、凄まじく苦しいものになるか、それとも清々しいものにできるか。
これは、日ごろのあなたの大切な人に対する振る舞い次第だと思います。
ですので、後悔しないように、日ごろから感謝の気持ちをもって、振舞っていきましょう。
それができれば、幸せな人生になれます!
是非、後悔少なめの人生にしていきましょう。
ということで、今回は、僭越ながら私の後悔話をさせていただきたいと思います。
私のように後悔することの無いように参考にしていただけたらと思います。
私は母親に対して冷たかった。母が亡くなって初めて母の偉大さがわかり自責の念に襲われました。もっと母に優しくしておけばよかった。そういう後悔の話です。
私事ですが、
母が今年の7月29日に突然亡くなりました。
めちゃくちゃショックでした。
今もまだ立ち直れてはいません。
立ち直れてはいませんが、少しずつ前を向いて進めるように頑張っている最中です。
母は、近くの自動車工場で午前中のみ清掃の仕事をしていました。
いつも昼には家に戻ってきて、父と食事をした後、家のことをしたりしていました。
これが母のルーティーンの生活でした。
母が亡くなった日、コロナのさなかでしたので、私は家でテレワークをしていました。
母はいつものように午前中は仕事をし、昼は家に戻り父と食事を済ませ、そしてそのあと昼寝をしていたみたいです。
昼寝の後、庭の草むしりと掃除をしていたみたいです。
私はテレワークだったんですが、その日は、午前から15時30分頃までは外出していましたので、
帰宅しテレワークを始めたのは15時30以降でした。
私が家に戻ってきたときは、家は普段と変わらず、母もいつものように健在でした。
ですので何も考えることなく、いつものように2Fに上がり、テレワークをはじめました。
そしてそのあと、長男が16時過ぎ頃に帰ってきました。
長男が帰ってきたときも、母はまだ健在でした。
※母は、玄関先に倒れていましたので、長男が帰宅し玄関から入ってきた時点では、まだ母は玄関先にはいませんでした。
その後、うちの嫁さんが16時30分ころ仕事から家に戻ってきました。
車から降り、玄関先に母が倒れているのが目に入り、慌てて【お母さんが倒れてるよ】
って、私がいた2Fに駆け上がってきました。
ついさっきまで元気だった母が、玄関先でうずくまって心肺停止状態で倒れていました。
嘘だろ!って思いました。
嫁さんの声に、父も気づき3人で母に声をかけました。
私は慌てて救急車を呼びながら、救急隊員の指示に従いながら、不慣れな手つきで心臓マッサージを行いました。
本当に、何が何だかわからない状態でした。
そして救急車が到着。
救急隊員が私と代わり、玄関先で心臓マッサージを始めました。
しかし、一向に息を吹き返す気配がありませんでした。
そして救急隊員が心臓マッサージを続けながら母を救急車に運びました。
救急車が出発するまでにも、私は何度も救急隊員に母が息を吹き返したか確認していました。
しかし、残酷にも救急隊員は、ただ首を横に振るだけでした。
そんなこんなで母を乗せた救急車に嫁さんも一緒に乗り、救急車は病院に向かい出発しました。
私は救急車とは別で、自分の車で病院に向かいました。
病院に向かう途中、必ず息を吹き返してくれるものだと信じていました。
でも、それと同時にものすごい不安な気持ちが湧き上がっていました。
まさか、【このまま逝ってしまうなんてことはないよな】
そんな何とも言えない想いでした。
病院に着くやいなや嫁さんと合流。
2人で待合席で呼ばれるのを待ちました。
まもなく、先生から呼ばれました。
そして厳しい状況の説明を受けました。
今、全力で蘇生の処置をしているが心臓は止まったままで戻る気配がない。
数値も厳しい状態になっている。
仮に、息を吹き返したとしても後遺症は免れず寝たきりなど厳しい状態になる。
こんな残酷な言葉を淡々と言われました。
病院って、なんて非力で冷たいところだ!
って本気で思いました。
※病院にあたっても仕方ないとは思いましたが・・・。
そして、もうしばらくして再び先生がやってきました。
そして、
もうこれ以上は難しいです。
そう言われました。
そして、母は亡くなりました。
ここまでのやり取り、本当に一瞬の出来事でしたが信じられない気持ちでした。
私は、気がおかしくなってしまい、ただただ震えながら泣き崩れることしかできませんでした。
そのあとは、家族や兄弟と合流し、いろんな方々の力を借りながら、行うべきことを行い、今に至ります。
母が亡くなってからもう少しで3ヶ月となります。
【大切な人には素直に感謝の気持ちを伝えるようにしましょう】
今でも亡くなったことが信じられないのと、思い出すと胸が苦しくなります。
母が生前のとき、私は母に対してほんとうに冷たい態度をしていました。
でも、母はいつも、私のことを心配してくれて優しく声をかけてくれていました。
本当に、今だからこそ気づけることがたくさんあります。
母のことを死んでしまえばいいのにって思っていた時もありました。
とんでもない話です。
やっぱり、私の人生においては母は偉大な人でした。
母は生前、私に【生まれてきてくれてありがとう】
こんなメールをくれたことがありました。
私はこの時、何を言っているんだ気持ちわりぃーな。くらいにしか思っていませんでした。
本当にダメ息子でした。
うちは同居していたこともあり、嫁姑問題もあり、なかなかと素直になれない部分があったんです。
本当に母にはつらい思いをさせてしまっていました。
そのすべてを亡くなってから気づかされました。
母と生きた時間の大切さ・尊さ・重み、そのすべてを、亡くなってから気づきました。
今の気持ちは【また会いたい】【生まれ変わったらまたお母さんの息子で生まれたい】
そして、【産んで育ててくれて本当にありがとう】
この気持ちです。
この言葉を、ちゃんとお母さんに言いたかった。
今になってやっと気づきました。
本当に哀れな息子です。
これが、私の後悔の話です。
今、あなたに、大事な人がいるのであれば、何を差し置いてでもその人を必ず大切にしてください。そして、素直に感謝の気持ちを伝えてください。それが、人生では何より大切です。
必ずそうしてください。
それが、あなたにとって最高の幸せだと思います。
私も、母の死で気づかされたことがたくさんありますので、
残りの人生、家族や友人を大切に生きていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。