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【心に響く偉人の言葉】坂本龍馬の名言に学ぶ。

心に響く言葉・名言
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坂本龍馬の略歴

 

【生】天保6年11月15日(新暦1836年1月3日)

【国】日本

【没】慶応3年11月15日(新暦1867年12月10日)(31)

 

天保6年(1835年)、土佐藩士(郷土)坂本平八直足の次男として生まれる。

嘉永元(1848年)、剣術の小栗流、日根野道場に入門。

嘉永6年(1853年)、剣術修行のため江戸遊学、千葉定吉道場へ入門。ペリー来航で藩の臨時ご用達に徴用される。

安政6年(1859年)9月20日、砲術家・徳弘幸蔵に入門。

文久元年(1861年)8月、土佐勤王堂結成され、翌日、加盟する。

文久2年(1862年)1月15日、長州の久坂玄瑞を訪れる。3月24日、沢村惣之丞と共に土佐藩を脱藩する。10月、千葉道場の千葉重太郎と共に軍艦奉行の勝海舟を訪れる。

文久3年(1863年)1月8日、勝海舟の私塾に同志とともに入門。4月24日、神戸海軍曹練所の設立が決定。私塾の開設も認められる。

元治元年(1864年)2月9日、勝海舟より外国連合鑑の下関砲撃調停の命を受け、翌日、同志らとともに長崎に向かう。5月頃、攘夷派志士らを蝦夷地に移住させ開拓事業を唱える。このころ、医師、樽崎将作の長女・お龍と知り合う。6月5日、池田屋事件で同志の望月亀弥太が自刃する。8月1日、お龍を伏見の船宿寺田屋に預ける。このころ、お龍と内祝言をあげる。8月14日、勝の使者として京都で西郷隆盛と面会する。

慶応元年(1865年)閏5月6日、木戸孝允と会見し、薩長和解を説く。閏5月10日、薩摩の西郷は木戸との会談予定を破り、そのまま上京する。閏5月29日、西郷説得のため、中岡と上京する。このころ、長崎に亀山社中を創立し商業活動をはじめる。

慶応2年(1866年)4月上旬、社中を土佐海援隊に改編。隊長となる。4月23日、いろは丸が紀州の明光丸と衝突し、沈没する。6月15日、長岡に(船中八策)を起草させ、土佐藩の後藤象二郎に示す。6月26日、藩士芸・三藩による王政復古について意見が一致、(約定書)成る。10月14日、将軍慶喜、大政奉還。11月1日、越前の松平春獄に喝す。このころ、【新政府網領八策】を著す。11月15日、近江屋で何者かに襲われ、翌日没す。

 

心に響く言葉、坂本龍馬の名言

 

★時勢に応じて自分を変革しろ。

 

★何の志もなきところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり。

 

★世の人は我を何とも言わば言え。我がなすことは我のみぞ知る。

 

★偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。

 

★恥ということを打ち捨てて世のことは成るべし

 

★人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

 

★万事、見にゃわからん。

 

★人として生まれたからには、太平洋のように、でっかい夢を持つべきだ。

 

★人間、好きな道によって世界を切り拓いていく。

 

★何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。

 

★人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。

 

★金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

 

★人の世に失敗ちゅうことは、ありゃせんぞ。

 

★慎重もええが、思いきったところがなきゃいかん。慎重は下僚の美徳じゃ。大胆は大将の美徳じゃ。

 

★わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

 

★疲れちょると思案がどうしても滅入る。よう寝足ると猛然と自信がわく。

 

★雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。

 

★夢中で日を過ごしておれば、いつかはわかる時が来る。

 

★人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。

 

★日本を今一度せんたくいたし申候。

 

★世界の海援隊でもやりますかな。

 

 

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